教科書定番教材シリーズの「こころ」です。夏目漱石の名作を、学校で扱うところを中心に膨らませて、「明治の精神」に迫ります。学校よりは深い解説を目指します。 2020.03.19. こころの内容あらすじ、解説と心理解釈です。夏目漱石の「こころ」は高校教科書掲載作品なのでテスト出題傾向や対策などもご紹介。 こころのあらすじと内容解説|心理解釈や意味も|夏目漱石|テスト出題傾向 .
このまあまあ重くて暗くて救いのない話をなぜ中高生の教科書に載せているのでしょうか。明るい未来を信じて疑わない中高生、そりゃ寝ます。「先生が教科書を朗読してずっと感想を喋っているだけなんですよ〜」と。ちなみにこの「夏目漱石のこころって一体何なの…」って話をしたら女子高生にめちゃくちゃウケました。救われました。ずっと悩み続けながらも奥さんと過ごした夫婦生活があったと思うと身勝手がすごい。振り切って自己陶酔だぜ。あれからこころを読み返したことはありませんが、未だに「え?」という印象が消えません。中は両親と私。父親が危篤で田舎へ帰省するも先生から遺書めいたものが届き、私は動揺します。下は先生と遺書。先生の遺書の内容が綴られています。ここが物語のメインとなる部分です。教科書にも下の一部が抜粋、掲載されています。50分間の授業で小説の(しかも省略された教科書の)段落ごとに自分の感想を述べ続けるって、逆に難しくないですか?というところです。主人公の男の子が先生のようにならないことを祈るばかりです。そんなに感想言えないし、ほんとに国語…というか小説が好きな先生なんだな〜と関心しながら話を聞いていると、「こころの時なんかめちゃくちゃアツく語りだしてやばかったです!」と一言。近所に仲良しの女子高生が居るんですけどね、この間彼女がいかに青春を謳歌しているかを聞いていると「国語の授業が眠い」と愚痴をこぼしておりました。下のパートだけで140ページあります。一部遺書ではない描写もありますがほとんど遺書です。長い。驚異の長さ。かまってちゃんなのか。少ない。少なすぎてどういう人物なのかなかなかイメージしづらいですが、奥さんはすべて知っていたのではないのかなあとも思うのです。Kが自分に好意をもっていたことも、先生がKを出し抜いたことも、その後悩んでいたことも。自殺を考えていたことも知っていたかもしれない。すべて知っていて結婚して、暮らしていたと思うとやっぱりそこには先生への愛しかないんですよね。ここ想像膨らませられるのが物語の肝、というかおもしろポイントだとは思うのですが、それにしたって救いがない…教科書には一部抜粋されたものしか載っていませんでしたが、ふくたは改めてまるっと読み直したことがあります。そこで今回は完全ふくた主観でこころの「なんなんだこれは?」について触れていきたいと思います。こうやって書いていると色々考える余地があるのでやっぱり良い本ですね。そりゃそうか。遺書には先生とお嬢さん、Kの三角関係とこれまでの先生の苦悩が綴られています。その後お嬢さん(奥さん)と一緒になった先生は罪悪感に苛まれ、自責の念によって苦しみ続け、ついには自殺してしまうのです。学生時代の先生は下宿先の未亡人のお嬢さんに想いを寄せていました。同様に下宿していた親友のKもお嬢さんに想いを寄せます。Kの気持ちを知った先生は先手を打ってお嬢さんに求婚し承諾を得ますが、その事実を知ったKは自殺してしまいます。こころがわかる方は是非ご教授ください。わからない方はこころ全然よくわからない同盟を組みましょう。 私 ( わたくし ) は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お 宅 ( たく ) へ伺っても 宜 ( よ ) ござんすか」と聞いた。 先生は 単簡 ( たんかん ) にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。
こころ 夏目漱石 『こころ』は、「私」と名乗る青年が、「先生」と呼ぶ人物との出会いから「先生」の自殺に至るまでの「記憶」を回想的に語る小説である。 教科書定番教材シリーズの「こころ」です。夏目漱石の名作を、学校で扱うところを中心に膨らませて、「明治の精神」に迫ります。学校よりは深い解説を目指します。ところが「弛み」が生まれてくる。「不足な顔」「物欲しそうに」なる。なぜかというと、自分が同時に教えようとしているからですね。違う学年を担当しておりまして、この季節になると両方を教えることになるので、やっぱりこの際両方まとめてしまおう、と思っております。ちなみにですが、大丈夫だとは思いますが、「先生」というのは、「私」がそう呼んでいた、というそれだけの話で、何も仕事はしていません。財産は十分にあって、何もしないで、生きている、まあ、漱石だと高等遊民なんて言葉で語られますが、要は勉強をして、学んで、働かずに生きていくわけですね。先生のこのあたりの背景はしっかりとは語られていません。(どうして金があるのか、どうして下宿するのかはしっかりと書いてありますが、なぜ働かないのかまでは丁寧に叙述していません。)これは、働く、ということは金を得るということで、金を得るために、やりたくないことをしたり、金もうけに走ったりすることを下品でよくないこと、ととらえているからです。魂を売らない、とでもいいましょうか、要はやるべきことをやっていく、ということです。まあ、働かずに生きていくだけの金があり、しかも使命感に燃えて何か学問に取り組むとすれば、それは幸せなことかもしれません。私は、まず、そういう存在として書かれている。私の知らない何か、周りとは違う刺戟、そして、それは、新しい何か。これ、要するに、最初のタイトルは「先生の遺書」で、その他の短編を合わせて、「こころ」というタイトルにするつもりだったけど、長くなったから、最初の「先生の遺書」だけで終わりにして、タイトルを「こころ」に変えて発表しました、ということなんですね。いつもの通り、長めの引用を使いながら、読み解いておきましょう。つまり、この作品を理解するためには、「私」と「先生」の関係を見る必要がありますし、「遺書」によって「私が何を知ったのか」「変わったのか」を考えなければいけないと思うんです。大学が始まると、先生のことを忘れる。「大都会の空気」「強い刺戟」「新しい学年に対する希望と緊張」。つまり、「若い私」は、「大都会の刺戟」のような何か新しいものに飢えていたわけです。外人と一緒にいる先生に、興味を持つ、なんていうところからも、この「新しいもの」としての「刺戟」が、先生に対する興味関心であったといえるでしょう。でも、その新しい、刺激的な何かを遺書によって、得ることで、「私」はもはや若くなくなる…。さきほどの引用に、「私」のキャラクターが描かれています。それは、「好きな人と自分の意志で結婚するのが当然だ」ということです。このことは、先生の遺書の中で、先生の過去としても語られていきます。というわけで、教科書とはずれますが、まずは、その前提にしばらくおつきあいください。つまり、当時の新聞連載で読んでいた読者は、「先生の遺書」というタイトルで読んでいたわけで、最初から先生が死んでいることを知っているわけです。もちろん、「こころ」として読み始める現代の私たちも、冒頭の1ページを読めば、十分、先生が死んでいることはわかります。だって、そう書いているんだから。この言葉の裏には、「今の私は若々しい書生ではない」というニュアンスが存在しています。ところが、実際に流れている時間は、そんなに経っていません。ものすごい過去の回想ではない。あくまでも、「両親と私」のラストで、先生からの長い手紙を受け取って、汽車にかけこんだところが、「私」が回想している現在である、という前提は必要ですが、その間はわずか数年です。この二人、同じ問題に対して違う選択を行い、結果として、どちらに進んでも地獄だということを示してくれるわけです。近代とは何か、そんなことに迫れればな、と思います。だからこそ、「こころ」を読む時には、かいつまむにしても、最初から授業で扱う必要があると思うんですね。すごいことなんです。時代は明治時代ですから。でも、すごいこと、といっても、当時の読者もきっとみなさんと同じように、受け止めたことでしょう。つまり、そういう時代になっているんだから。それは、「こころ」を読んでいけば、奥さんや御嬢さんのふるまい、「私」の両親や兄のふるまいを見てもわかります。そして、先生やKだって、それが当たり前だと思っていたわけですから。なので、教科書の切り取り方と特に、三角関係読解をするなら、たぶん、「こころ」なんてやらなくていいんじゃないか、と思います。でも、「私」にとって、「個人の意志で好きな人と結婚すること」は常識となっているはずなんです。鎌倉で出会ったあと、「私」は先生の家を訪ねる約束をするんですが、実際に尋ねるまで、こんな感じで展開していきます。教科書定番教材シリーズは、「舞姫」森鴎外とともに、「こころ」夏目漱石を同時にすすめるという荒技を考えております。というわけで「こころ」。どう考えてみても、この作品のテーマは、「私」が「先生」から何を得たか、「先生」はどんなバトンを「私」に渡したのか、にあると思います。にも関わらず、「私」はすでに若くない。この間にあるものが、「遺書」ですね。そして、そういう新しいものを欲する存在として、私はいるわけです。両親や兄には理解できない、新しいものを求める「私」。中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!そして、最後まで読んでいるとするなら、冒頭から、先生の遺書で使われる「K」ということが念頭にあって、書かれていることがわかります。教科書では残念ながら、「先生の遺書」の、特にKが自殺する場面ばかりがとりあげられています。そうすると、下手をすれば、「三角関係の物語」として、非常に現代的に読み替えられて理解されてしまうわけです。でも、もし「遺書」であるなら、遺書であるからこそ、「遺書」だけを読んでもだめなんです。「予期するあるもの」。先生には何かがある。先生と会うときに感じる「不安」の中に、何かがきっと現れる。これは最終的に「遺書」という形で実現するわけですが、この段階では何を期待していたかはわかりません。これが、先生と出会うきっかけになる出来事です。このあと、海岸で、外人といる先生を見て、興味を持つわけですね。
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